先日、地元の氏神神社でお祭りがありまして、私は祭り連の地元地域での本部長を務めていたのですが、このお祭りを以て、その仕事も大半が終わりました。
まだ全て終わったわけではありませんが、ひとまずホッとしています。
ただ、意外だったのは、大きな感慨があまり湧かなかった事。
「やり切った!」という達成感とか、終わってしまった寂しさとか、そういうものがもっと出てくるのかと思いきや・・・案外そうでもありませんでした。
まあもちろん、ホッとはしているんです。
でも、それ以上の気持ちを言葉にしようとすると、特に何も出てこないんですよね。
こういう役目を終えた時には、何か立派な感想があった方が良いのかもしれませんが、無いものは無い(笑)
ですから、無理に感動的な話にするのも、何か違うように感じます。
で、少し考えたのですが、終わった時の感情と、それまでやってきた事は、別に同じ大きさになるわけではないんですよね。
大きく感動したから一生懸命だったとか、淡々としているから思い入れが無かったとか。
そんな単純な話でもないのかなと。
仕事でも同じ事がありそうです。
一つの現場を終えた時に、嬉しそうに話す人もいれば、いつもと変わらない顔で片付けをしている人もいるでしょう。
自分が苦労したところを上手く説明出来る人もいれば、聞かれても「まあ、終わりましたよ。」としか言わない人もいる。
もちろん、嬉しい時には喜べば良いですし、頑張った事を話してもらうのも良い事です。
ただ、その表現の大きさだけで、仕事への姿勢まで決めてしまうのは違うんですよね。
私自身、大役を務めた割には、こんなに普通の気持ちでいるわけですから(笑)
じゃあ、人を評価する時には何を見るのか?と言われれば、やっぱり「実際に何をしたか」だと考えます。
任された作業をキチッと進めたか。
周りの仕事が進むように手を貸したか。
自分だけで終わらせず、後輩にも出来るように教えたか。
そういう事は、本人が「頑張りました!」と言わなくても、逆に周りの人間の評価を注意深く見ておく必要があります。
逆に、本人がどれだけ熱く話していても、出来ていない事まで出来た事には出来ません。
ここは、経営者として気を付けたいところです。
話が上手い人の貢献は伝わりやすい。でも、口数の少ない人の貢献まで小さいとは限りませんからね。
出来るだけ具体的な行動を見て評価したり、同行した人達の意見を尊重するのは、そのためでもあります。
さて、祭り連本部長としての仕事も、まだ少し残っています。
もっとも決算資料の作成なので、やっぱり大きな感慨は後から湧かないのかもしれません。
とりあえず、残っている事もキチッと終わらせようと思います。


