ここ最近、桜の木を見ていて「あれ?」と思ったことがあります。
今年は葉っぱが結構残っているんですよね。
例年この時期になると、虫に食われて穴だらけになっていたり、かなり葉が少なくなっている桜を見掛けるのですが、今年は比較的綺麗な葉が残っている木が多いように感じます。
なぜ今年は食害が少ないのか。
気候なのか、虫の発生が少なかったのか、それとも他に理由があるのか。
そこまでは分かりません。
ただ、桜というとどうしても春の花に目が行きます。
満開の時にはみんな見上げるのに、花が散って葉っぱだけになると、途端に誰も気にしなくなる(笑)
でも木にとっては、花が終わった後の葉っぱも大事な仕事をしています。
春の一瞬だけ派手に咲く花。
その後、何ヶ月も黙って木を支える葉っぱ。
どちらが偉いという話ではないのですが、分かりやすく目立つものばかりに価値がある訳ではないんですよね。
で、仕事も似たようなところがあるのかなと思いました。
若い職人は体も動くし、作業も早い。
重い物も持てるし、一日にこなせる仕事量も多い。
これはもちろん大きな力です。
一方で、年齢を重ねて体力が少し落ちてきた職人には、それまで何十年も現場で積み重ねてきたものがあります。
木を見て剪定の加減を判断する。
現場全体を見て先回りする。
お客様が気にしそうなところに気付く。
若い職人が迷っている時に、ちょっとした一言で仕事を前へ進める。
こういうものは、単純な作業量だけではなかなか見えません。
だから私は、職人の価値を年齢だけで決めるのは違うと考えています。
もちろん、何歳になっても若い頃と全く同じ仕事が出来る訳ではありません。
体力が落ちれば役割を変える必要もある。
経験があるからといって、それを何にも使わなければ意味も薄くなります。
でも、自分の経験を仕事に使う。
後輩へ渡す。
自分に出来る形へ少しずつ変えながら現場に関わる。
そういう働き方は出来ます。
今年の桜の葉を見ていると、花が終わった後も、葉っぱは葉っぱでシッカリ自分の仕事をしているんだなあと改めて感じます。
人も、若い時だけが働き時ではありません。
何歳だから終わり、と会社が勝手に線を引くものでもない。
その人がまだ何を出来るのか。
どういう形なら力を使えるのか。
職人の引退は、最後は本人が決めれば良いんじゃないかなと思います。



